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近くにいる人を見つめながら、未来に降る雨のことを考えている。

 

 

和歌に見られるように、人は昔から水に感情を託してきた。

私たちの内部を満たし、また、そこから流れ出した水がやがて海や空を満たすように、

それぞれが同じ循環の一部分であることを、どこかで感じていたのだろうか。

 

私たちの無意識にあるものは、知らず知らずのうちに身体の奥底に蓄積していき、

一瞬の表情や姿勢の中にも、筋肉の動きや習慣が佇まいとして顕われることがある。

 

私はこの数年の間、人の肖像を撮り続けているうちに、

彼らの心の営みがつくる目に見えない川や海を想像するようになった。

それは私たちの身体の中にある川や海であり、

また、隔たりながら隣り合っている私たちをゆるやかに繋げながら、

すべてを抱く海原へ通じていく水脈のことでもある。

私たちはその混沌の川に、堪え難いほどの欲望や、透き通った祈りさえ流せる生き物である。

 

その像を視覚で捉えることは出来ないけれど、そこにじっと目を凝らすことは、

この時代を循環するものへの眼差しを持つことと同じであるように思う。

 

 

未来に降る雨は、この身体とひと繋がりにある。

 

 

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