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ひとりきりにはなれない場所を選ぶ

近くに川があってよかったと思うのは、もう何度目だろう。

人目も憚らず芝生に仰向けになり、ぐんと伸びをする。靴下も脱ぎ捨て、夜露で湿った土に踵が触れる。普段は仰ぎ見ている立場の夜空を寝転びながら見つめていると、ようやく正対して「目が合った」という心地になる。そのままぼーっと何も考えず、星の瞬きと同調する。日々の重力を解いて、ひとりという単位に戻る時間。そんな風に誰にも侵されない時間を望みながら、ひとりきりにはなれない場所を選ぶ自分のか弱さを隣に連れ添って、いつか還る場所を見つめている。

日々の生活で耳にした音、それも特に人の話し声が、ひとりになると頭の中に残響する。

例えば、寝る前に水を飲もうと冷蔵庫の扉を開けようとするタイミングや、ベッドに横たわりながら携帯電話を触っている時間に、同僚や学生たちの声が脈絡もなく幾重にも重なって聞こえてきたりする。そこで再生される音声の質感をなぞりながら、あの時のこの人の声はこういう身体や気分の上にあったのだなと、妙に納得してしまったりする。

これは<筆跡をなぞる>技術にも近いものがあって、その人の脈に触れるような、不思議な行為だ。

夜、お風呂から出て、あ、寒い、となった。今年初めての体感。毎年、この寒さでもって秋になったと感じる。何かが変わる境目に立っているような気がして、うれしくて、少しだけさびしい。

日付が変わろうとしていた頃、突然Uくんから電話がかかってくる。凪いだような声で「今鴨川に来てんねん」と続く。通話をスピーカーに切り替えると、ごうごうと川の流れる音が聴こえて、部屋の中にかすかなお酒の匂いと夜気がやってきたような心地がする。彼と話をしていると、なんていうか、青い色が見える。

それはたとえば、朝が来るまで眠れずにいた二十歳の火照った体温。真夜中のベランダに裸足をひたす冷たさ。遠くを駆ける新聞配達のバイクの排気音。夜と朝の境目に現れる、群青色のグラデーション。そんなすっかり忘れていた肌感覚が蘇って、遠い気持ちになる。ずっと昔の自分が電話の向こうにいそうな気がして、なんとなく切るタイミングがわからなくなる。



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