好意の行き先

誰かと付き合うことが、フィジカルなセックスを伴う関係であるという前提があったとして、そこから降りてみたらどうなるだろう。

好意があって、そして一緒にいたいという希いが続いて、しかしそこに性行為という条件が介在しなければ、パートナーとして隣にいる人の選択肢はとても広がるのかもしれない。ふと、そう思ったのだ。これまでずっと、恋愛には性愛がセットであると思い込んでいた。 まるでフライドポテトにはケチャップをつける、というくらいの無邪気さで。

個人的な性愛の傾向を振り返ってみれば、そもそも親密なコミュニケーションへの欲求はあって、でもそれは例えるなら愛猫に向けるものに近いのかもしれないと感じたことは一度や二度ではない。射精によってその度に終わりを迎える行為が、自分にとっては持続的な関係を結ぶのに不向きなのかもしれないという思いが積み重なったまま、ずっと言葉を結べずにいた。

皮膚と皮膚がふれあって境界が溶けていくことの深い安堵を知っている。ただ、性的なニュアンスを含まない触れ合いの「よさ」は、子供時代に置いてきてしまったきりだ。この社会に属している大人は触れ合うことを慎重に避けて生きている。そんなことも忘れているほど、自然に。だからだろうか、横並びの席で膝と膝が触れてしまったときのような弱火の体温や、満員電車で背中合わせになった人の肩越しに伝わる熱。そんなものに人知れず慰められ、醸成される孤独があった。


関係性とは一本の紐で表せるんじゃないかと、Tさんが話していた。ふたりを囲う紐。蜘蛛の糸のように降りてきてすがる紐。かと思えば、その紐で首をしめて殺してしまうこともできる。自分はその紐をどのように扱ってきたのだろう。そしてそれをどう扱いたいのだろう。


好意が生まれたとき、その気持ちはどこに向かえばいいのか。そのことが示されている標識をずっと探していた。しかし、僕が向かい合いたいものは、それではない。あなたの顔なのでもない。少しだけ先にいるはずの未来の後ろ姿だ。それは、自分が信じたいアイディアへ手を伸ばしていく意志だ。まずは、名前の与えられていない手探りの関係の困難さを、提案してみること。曖昧さを実感に変えていくこと。それがお互いにとっての記憶になること。輝きを含んだ水のように、惜しみなくそこに流れ続け、分かち合いながら併走していくこと。同じでもなく、違うでもなく。


点と点をつなぐ線が立ち上げる紐のイメージは、そんなふたつの川のようなものかもしれない。










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