心は何でも作り出すことができる

2020年の後半は内藤礼さんの「うつしあう創造」から始めようと思い立ち、金沢の21世紀美術館へ行ってきた。


内藤さんはどうしてこの世ではない場所を知っているのだろう、と思う。この展示空間に身を置き続けることは密やかな臨死体験にも似ていて、もしどちらの場所も生であると仮定するならば、これは臨生体験と呼ぶのかもしれない。

そこはこの地上から地続きのグラデーションの先にあり、そして地上での生を漂白しなければ辿り着けない場所を垣間見せてくれる。

空間に潜在している「見えない糸」に気づくことは、そこに入り込んだことを報せる装置のようで、でも見えることを知ったあとでさえ、意識を逸らした隙にふと見えなくなってしまう。


ある展示部屋の中に1枚の雑誌の切れ端が糸に吊られていて、風が吹くと一瞬だけ裏側の記事の文字が読めた。風が吹くのを待っては、そのたびに一行ずつ文字を追った。そこには誰の言葉かわからないけど(*1)、こう書いてあった。

「私は心は何でも作り出すことができると思っているし、これは真実なのよ。心と想像力、それは事実としてあるものなの。私は本来感情的な人間だし、そのことをとても尊重している。」


「精霊」と名付けられたふたつのリボンが空に泳ぎ続けている作品は、先日の三木くんと島田くんの身体の掛け合いを想起させるものがあって、いつまでも見飽きなかった。来てよかった。明日の朝も再び訪れる予定。

*1 翌日の午前中、ふたたび訪れて風を待つと、ビョークのインタビューだということが判明。