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2023  "  Midnight call /ミッドナイト・コール(#20230524)  "
​15min 24sec, 2-channnel video, HD   

   

別々に暮らすお互いの部屋にビデオカメラをセットして、電話をする自分たちの姿を同時に録画してみることを思いついた。ひとしきり話し終えた後の、ひとりにグラデーションしていく時間が見てみたかったのだ。

何度目かのときだった。今度は電話をかけるふりをして、相手のことを想像しながら独白をしてみようということになった。いざ、その映像を見てみると、電話をしていたときとは打って変わって、それぞれ非対称の距離をもつ言葉を手向けているように見えた。私たちは違うさみしさを生きていると直感するような、質の違う重さがあった。そう思っていると、あるタイミングで「声」という言葉がふたりの身体の奥からほぼ同時に発声された。 その一瞬の交点は、流星があらわれたときのように小さく閃光して、次の瞬間にはもう霧散していった。

あの夜、私たちが話しかけながらまなざしていた場所は、一体どこだったのだろう。随分あとになってから、あの短い時間は、やっぱり祈りだったのではないかと思った。

 

​独白は私を喋りすぎる。さも、私のことをよく知っているような顔つきで。この世界に流通する親密さをめぐる言葉たちにはどこか共通した筋書きがあって、気がつくと私もよくその台本を生きてしまう。その定型のプロットは、ひとりの人間の中にある複数性をひとつきりの容れ物におさめようとするから、時々、本当にそれでいいのか立ち止まってみたくなる。なるべく長く持続する関係を目指すという意識もまたひとつの刷り込みなのかもしれなくて、そこに向ける力みが、あの一瞬の光を見失わせてしまうことさえある。

さまよいや矛盾を前提としない社会の言語空間の中に、いつも自分がいないような気がしていた。ああ、とか、うう、とかでなければ表現し得ない、弱さの張力が言葉の手前にはあって、その震えはこの時代の何かを静かに知らせてもいる。社会からも、そこに属した自分自身からも「聞かれないもの」として存在してきた独り言の綻びを媒介にして、強い光によって見えていなかった傷口に、私たちは何度も心を重ねようとした。声の疼きがかさぶたのように乾いていくその下で育まれる力を、ただ聞こうとして。その営みを「ケア・コレクティブ」と、呼びたい。

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