2011.12 闇という臓器の中で光は育まれる

 

 

 

想像の中でよく、体を離れた水の行方を追いかけている。今朝勢い良く放たれたおしっこの一滴が、ジャーと言う水洗の音に見送られ、瞬く間に我が家の下水管を通り抜けていく。そして普段何気なく歩いてるコンクリートの地下を密やかに進んでいく。

下水処理場に辿り着くまでに何滴かはパイプから漏れ出すかもしれないし、それが幼い昆虫の羽を濡らすかもしれない。処理場では6段階の濾過と殺菌が待ち受けている。不純物が取り除かれ、上澄みを掬い、塩素を与えられた水は、相変わらず液体だけれどおしっことはもう違う分子構造になっている。

「同じ」を残しつつ、変わるのだ。そこから川や海へと旅立っていく。それはとても遥かな旅だ。鴨川沿いに咲く花も、味噌汁の一滴も、ティッシュの中の精液も、「浄化されて安全な汚染水」も、すべての水は「循環」という構造の中で巨きなひと繋がりになっている。

 

この「水」という言葉は「気持ち」に置き換えても、同じ構造で通じているのではないかと思う。友人から放たれた笑いが僕の胸にあたたかみを残し、それをツイートすることで誰かのもとに気分が届くかもしれない。まるで水の波紋が広がってぶつかり合っていくように、僕たちは連鎖し合っている(こうやって目に見える水を追いかけながら、目に見えない、それでいて確かにあるはずのものを捉えることが出来たならどんなに素敵だろう)。

 

すべては等しく反応体である。

反応し合いうごめきながら、ゆるやかに形を変えて生きていくというこの仕組みが、時に疎ましくも、いとしい。

 

 

そういえば今日は血管の中にいるという変わった夢を見た。そこでは、いつだったかテレビで見たマクロファージのような生き物や微生物がたくさんいて、補食したりうごめき合ったりを繰り返していた。僕は時々、自分の体がこれら無数の生命の集合体であることを忘れそうになる。

無数の生命が相互依存し合い、ちょうどいいバランスをつくってきた構図は人体も地球も同じはずで、だけど現代はどうしてこんなにいびつに傾いているのだろう。誰もがそのことに気づきながら、不安定な状態で安定しているような苦しさがある。

 

その一方で、地球上には人間、動物、植物、水、様々な立場が存在する。その中で完全な共存という眼差しは一方向からの幻想でもあり、立場に応じて善悪さえ変わっていくのかもしれない。大事なのは、こうしたら良い悪いという二分法ではなく、どういった状態が適正なのかを問い直し続け、共有し、実践していくことに尽きるのだと思う。

 

そしてそれは気持ちのいい作業に違いないと信じている。  

 

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